●「勝負の時だ!」
 ――コスト&性能でデルファイに挑戦

 話は少しさかのぼって、技術陣が国内向けドア内蔵型PSDの開発に専念していた2000年秋。北米トヨタトヨタテクニカルセンターから、PSDとパワーバックドアシステム(PBD)のコンペ提案が打診された。

 「一歩も譲れない。勝負の時だ!」
 自動車部品営業本部課長・兼松は、そう直感した。
 開発車両は03年1月に北米で発売されるシエナ。競合相手は世界トップの自動車部品メーカー、デルファイ社である。

 「北米市場での勝負は日本にも重大な影響がある。相手は北米トヨタでの取引を足がかりに、近いうちに日本にも上陸してくるだろう。このコンペに負ければ、新型ノア/ヴォクシーだけでなく、今後のPSD製品全てを取られてしまう恐れもある。その機先を制して闘う。コンペには絶対に勝たなければならない」

 兼松は本来、国内営業を担当するが、北米の市場動向は「他人事ではなかった」。将来性に満ちたPSD製品の砦を、自分たちの力で死守する。その一心で北米コンペへの段取りを具体化していった。
 準備が整うと9月末、兼松は車体系技術部課長・大橋とともに米国へ飛んだ。2人が米国に滞在できるのはたった11日間。現地法人アイシン・U.S.A.マニュファクチャリング(AUM)を活動拠点として、まずはAUMでの受注審議に参画。受注の必要性を現地に説明し、日米での意思統一を図ることが先決である。そして見積作成、設計仕様すり合わせなど実作業へと入っていった。

 刈谷市の本社にいる設計担当の山田と頻繁に連絡を取り合う日々が始まった。山田は毎日のように図面をチェック・修正し、図面精度を上げていく。兼松は、それを受けて現地で見積を修正。日米双方で必死の作業が続いた。

 AUMでは大判サイズの図面出力ができないため、飛行機を使った“空輸作戦”がとられた。まず刈谷本社から大型プロッター(出力マシン)があるアイシン・ワールド・コープ・オブ・アメリカ(AWA)に設計データを送信。出力した図面を、翌朝第一便の飛行機で駐在員がAUMまで空路持参する手段をとったのだ。AWAからAUMまでは空路約1時間、図面変更があるたびに、“空輸作戦”が決行された。
 こうして限られた手段と時間の中で、プレゼン資料を完成させていった。北米トヨタへのプレゼンテーションは、まさに国境を越えた共同作業だった。

 コンペの鍵を握ったのが、PSDとPBDの部品共通化である。
 「コンペに勝つには、2つの部品や機構を共通化してコストを削減することが最善策だ」と兼松たちは考えた。
 新型ノア/ヴォクシー向けに開発中のPSD用駆動ユニットを、PBDで共用できないか。時間に制約があるなか、開発陣は慌ただしくその可能性について模索した。その結果、PSD用の超小型駆動ユニットの一部を変更すれば、PBDに活用できることが分かった。

 さらに競合先の動向を調べた結果、PSDは従来のボディー搭載型で、部品調達の体制も整っていない。兼松は「システムサプライヤーとして、ドア内蔵型のシステム製品を提案すれば必ず勝てる」との思いをさらに強くした。前述したとおり、当社ではすでに国内の車種向けに外部メーカーとの開発体制を整えつつあった。

 コスト面はもちろん、車種展開が容易で、車内空間への影響もないドア内搭載PSDの利点を兼松は力説した。そしてプレゼンテーションから1カ月半後の12月半ば、兼松・大橋と山田の苦労は受注へと結び付いた。

北米トヨタ
トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・ノース・アメリカ。調達の窓口となる。

トヨタテクニカルセンター
北米トヨタの開発拠点。

アイシン・U.S.A.マニュファクチャリング(AUM)
所在地インディアナ州シーモア市、1988年7月設立。ブレーキ関係部品、鋳物部品、ボディー機能部品の製造と販売を行う。

アイシン・ワールド・コープ・オブ・アメリカ(AWA)
所在地ミシガン州プリマス、1992年設立。アイシン・アメリカ社とアイシンU.S.A.社が合併し北米現地法人を統括管理している。

パワーバックドアシステム

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