●「部品メーカーのままでは先細りだぞ!」
 ――めざすはシステムサプライヤー

 1999年発売のトヨタ・タウンエース/ライトエース・ノア向けPSDの開発がまさに佳境に入っていた98年初夏。開発・販売戦略検討会議では、次期開発モデルについて、営業担当者、設計担当者らによる議論が続いていた。
 「次のモデルで、当社の新規性を出した新しい構造のシステム提案はできないだろうか。現状の製品では、駆動ユニットの室内への張り出しが大きく、乗り降りもしにくい。作動音も気になる。しかも搭載できる車種も限られる」
 「今の機構のままで十分だと思う。システムがどうあれ、どんなPSDにもドアロックやドアクローザーが付いている。たとえシステム受注できなくても単品受注はできるだろう」

 PSDは多くの部品から構成されるシステム製品である。当社がここで画期的な製品を提案し、システム製品として受注できれば、それにこしたことはないが、それには膨大な開発パワーが必要となる。一方、単品受注をねらうのならリスクは少ないが、しかしその場合、競合他社が攻勢をかけてくるだろう。もし、そうなればこれまでのPSD受注拡大の流れが止まってしまう――。
 意見は大きく2つに分かれていた。
 議論が白熱するなか、決め手となったのは、ドア部品の開発に長年携わってきた車体系技術部主査・福元の一言だった。
 「PSDの次期モデルが大きなビジネスチャンスであることはまちがいない。だったら、このチャンスを生かし、ミニバンにも乗用車にも搭載できる画期的な製品を開発しようじゃないか。そしてこれまでの部品メーカーからシステムメーカーへの脱皮をめざし、車体系事業の大きな柱として育てよう!」 
 守りの戦略から攻めの戦略へ。福元の熱のこもった言葉に、同席したメンバーは思わずうなずいた。それからである。世界初となる駆動ユニットのドア内蔵型PSDの開発プロジェクトが大きく動き始めたのは。

 ところで、なぜドア内蔵型PSDに着目したのか。それを理解するには当社の開発の歴史と、初代PSDの構造が抱える課題を説明する必要がある。
 当社は90年代初めには既にPSDの開発に着手しており、93年の東京モーターショーでは小型車にPSDを搭載し展示を行っていた。構造はもちろんドア内蔵型ではなく、車両側に駆動ユニットを有するタイプ。その後前述のとおり、97年に当社初となる手動式スライドドア、99年には電動式のPSDを製品化した。
 同製品には、小型・軽量の駆動ユニットやばね鋼タイプの給電ユニットなどの新しい技術が開発され導入された。しかし搭載車種がマイナーチェンジ車であったため設計の自由度が小さく、駆動ユニットや給電ユニットを車両側に配置しケーブルでドアを引っ張る「プッシュプルケーブル方式」を採用するしかなかった。そのため「室内空間が狭くなる」「乗用車など他の車種への搭載が難しい」など、多くの課題を抱えていた。

 こうした経緯から、他社の追従を許さない画期的な製品を開発する必要に迫られた開発メンバーたちは、駆動ユニットなどの主要部品を全てドア側に内蔵するという世界初のアイデアの採用に踏み切ったのである。
 10年後も世界のトップにいることができるPSD――これが目標であった。開発ターゲットは2001年秋発売の新型トヨタ・ノア/ヴォクシーなど4車種。――許された時間は少なかった。

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