●日本と欧州をつなぐ人の架け橋

 2000年1月、江口らメンバーはミュンヘンのBMW本社にいた。1年後の量産化に向け、毎週木曜日に開かれることになった第1回目のプロジェクト会議のためである。
 BMWとは初めての取引ということもあり、当社は万全の体制で臨んでいた。ベルギーのアイシン・ヨーロッパ本社に赴任していた設計担当の一人をドイツ事務所のあるフランクフルトに呼び、さらにBMWへの対応窓口としてミュンヘンから西に40キロのところにランズベルグ事務所を新設し、現地スタッフを常駐させた。もちろん江口たち設計担当者も頻繁に応援にかけつけた。競合する欧州の部品メーカーに劣らない迅速さを実現するためだった。
 会議では山のような課題が提出された。
 ミュンヘンからドイツ事務所のあるフランクフルトまで約400km。アウトバーンを時速200kmで疾走する車内が作戦会議や課題調整の場となった。帰社してその日のうちに報告書をまとめ、日本へ送付するが、時差のおかげで金曜日の朝には日本のメンバーもBMWの意向を知ることができた。東と西を往復するさまざまな情報やデータ。これを繰り返すことで着実に信頼関係が築かれていった。

 そうしたある日、日本にいる江口のもとに緊急のファックスが入った。フランクフルトからだった。
 「吸気バルブ側のVVTが初期位置で最遅角に復帰しません」
 という内容だった。深刻なトラブルだが、江口は頭をかしげた。日本国内でも改造したエンジンを使って試験していたのだが、そうした現象は一度も発生していなかったからだ。
 現地の駐在員に聞き込みをしてもらったところ、BMWは新たにバルブのリフトを可変する機構を採用していることが初めて分かった。このバルブリフトを可変する影響でVVTが最遅角に復帰しなかったのである。
 原因がわかれば対策は可能である。しかし、さまざまな対策を試すのだが、これはというものがない。最終的に当社側の出した結論が、「エンジン側の制御法を変えるしかない」というものだった。
 早速江口がミュンヘンに飛んだ。だが、江口の要請に対するBMW側のプロジェクトリーダーの反応は、
 「製品で対策してほしい」
 の一点張り。厳格で一本気な彼は、いくら説明してもこちらの意見を聞き入れようとはしてくれない。会話は英語で行われていたが、どちらも母国語でない悲しさ。英語力の個人差もあって、主張が的確に伝えられなかったことも大きかった。
 しかし、製品(VVT)側での対応に限界があることは明らかだった。
 ここで、救いの手を差し伸べてくれたのがBMWの設計担当者だった。30回以上行き来するなかでお互いの信頼関係ができていた結果、当社の意向を汲み取ってくれたのだ。
 「原理的に限界に来ている。制御で対応するしかない」
 このBMWの設計担当者の言葉でプロジェクトリーダーも納得した。人と人とのつながりが問題解決への道を開いたのだった。

BMW対応のために開設したランズベルグ
事務所

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